旭川のスカッシュレッスンスクール「旭川スカッシュハウス」
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2018/02/16
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シムケントにて 4
4
そばにいるだけで疲れる人、めんどくさい人、こちらの生命エネルギーを根こそぎ奪い取ってくるような人間というものが確かに存在しているのが人間社会なのだ。
そういう人間とも共に生きるというのもなかなか立派な心がけではあると思うけど、オレはもうゴメンだ。
共にというのにはかなりの解釈があると思っている。
べったり一緒というのではなしに、無闇矢鱈に関わり合いにならない程度に共にということだ。
部室でタバコを吸う人間を認めてその不快な空気に耐えることを平気であると振る舞うこと、練習にも来ないで試合にだけは来てゲームを左右するような大事な場面で仕事をしない、いい加減なやつにも笑顔で仲良く付き合おうとしたり、明らかに後出しのジャンケンで勝って喜んでいるようなやつに対してそういう奴だからいいかと諦めたり、つまらないことで笑わなければならなかったり、飲みたくもないお酒を断れなかったり、馬鹿にされても自分が悪いと思い込まなければならなかったりしている連中が連中を呼ぶ・・・くだらん。
それらおかしなこと、理不尽なことに耐え続けている内にいろんなことが平気になることを成長とは呼ばない。
単に何かを嫌うという感受性の回路が麻痺しているだけのことだったのだ。
嫌いなことをして、嫌いな人の流れに揺られている内に自分を騙すことがあたり前になっていった。
自分の感覚が自然と麻痺して、閉ざされていった。
そうやって限定された上でままならなくなっていった現実行動の結果、作り上げられたのがこういうオレなのだ。
逃げ道を失ったオレは歪んで狂いきった回路から自由になることを望み、極端な決定を下すことになったのはひとつの事実だと思っている。
もっと違った答えもきっとあったのだろう。
だが残念ながらああいうめちゃくちゃなことをすること以外、今の自分はないことにどこか確信めいたものがオレにはあった。
多くのものを失うことになることはわかっていた。
自分のしたことがよかったことだとも思っていない。
だから、それについてを謝った。4/5
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