ブログ

  • 2017/09/07

    ブログ

    発想の持つ力について

    みなさん、こんにちは。

    まゆきにセット取られるわ、5分間走が最後までできなくなるわ、疲労たまるわ・・・
    久しぶりにアルコールを身体に入れた副作用があまりに大きくて、碌なことない!!
    なんてことをしてしまったんだ・・・週末の大会はもうだめだ・・・と思っていたけど、
    何とか戻ったっぽいので試合はできそうです( ̄▽ ̄)
    ホントによかった(>_<) ここまでお酒に弱い本質だったとは思わなかった(>_<) また別の機会に練習しよう\(◎o◎)/! しかしこれまでよくもまぁ自分の体質に似合わない飲み方をしてきたものだと改めて・・・ とりあえず今日は3日間アイスティーを飲み続けて、スタバのトートバックを手に入れた♪ IMG_4928[1]
    ティーを飲み続けて思ったのは私はコーヒーが好きだということだ✨
    紅茶は飲めるけど、なんだか穏やかな気持ちになれていない気がする・・・
    なぜだろう?
    舌とか喉がキシキシする感じがなんかアレなんですよね( ̄▽ ̄)
    もしかしたらアルコールと同じで紅茶を消化するための酵素が欠けているのかもしれない。
    でもだからといって何か問題があるわけでもない。
    ただアルコールと紅茶とはあまりいい関係が築けそうもない。
    ただそれだけのことだ・・・

    さて、今日は私の考える発想についてのお話を少しだけ( ̄▽ ̄)

    みんなそれぞれの性別や顔と考えに基づいて発想を繰り返してきたことで関係を築いている。
    いろんな限定条件がその発想を可能とし、実現させてきたんだと思う。
    その結果、みんな望んだ暮らしをしている。
    すべての行動の発端には必ず発想があって、思考があって、損得勘定があって、決定がある。
    休むことなく回転する意識的内面で一番ピュアなのが発想だ。
    誰にも左右されることなく降って湧いてきたアイデアのことを発想としよう。
    バカなこと言っていないで、の中のホントに理解できない子どもの発想の類です。

    その発想を表現すること、実現しようとすることの自由を才能と呼ぶんだと思う。

    どの分野でも才能の開花を手伝うことができても、才能そのものを教えることはできない。
    発想も同じだ。
    決して教えることはできない、その人だけのもの、それが才能であり、発想であり、個性だ。
    その発想に心を開くか、誰かの発想や考え方を優先するかで互いに表現される才能は縮小され、小さな個性は相対的に社会に従うものとなり、そのスケールに合わせて損得勘定の役割分担に割り振られていく。
    スケールというのは優劣ではなく、稼ぎでもなく、サイズのことだ。
    それぞれに許されている発想の大小でみんな関係を選んでいる。
    みんなが望んだ暮らしをしているというのはそういうことだ。
    作家リチャード・バックの『イリュージョン』の中でイリュージョンな主人公が「みんな望んで今の暮らしをしている」ということを人々の前で伝えた時に大バッシングを受けるシーンが今ならよくわかる。
    ※バックは新約聖書の超常的かつ傲慢ゆえに処刑されたキリストのことをイメージしていたのかもしれない。
    自身の現状のサイズをふさわしいと思うかいなかはその人が決めることで、納得いかないのならより良い発想に身を委ねるべきなのだ。それができないのは何かを犠牲にすることも捨てることもしようとしないからできないのであって、そのより良い方向はきっとその人のものではないのだ。

    その人自身の発想であってもその道は楽しいことばかりではないかもしれない。

    その発想が大きければ大きいほど時間も手間もかかるし、苦しいこともある。
    ある程度の経験があれば苦労も工夫もなく得た勝利や報酬の価値についてを知っているはず。
    発想には人を元気にする力がある。
    もしもそれができたなら・・・
    もしも願いが叶ったなら・・・
    もしもの幻想と想像力に臨場感があればあるほどその人の未来はきっと楽しいことになる♪
    発想が形になる瞬間に立ち会えた人はきっと誰かの発想や未来を大切にすることができる✨
    私の仕事はスカッシュのコーチなのでスカッシュコートを使ってスカッシュというスポーツを通じてそんな発想の育成を担っている。
    何かを学ぶにしても、何かを伝えるにしても、
    立場は違えど規格外の発想と出会えた時の感動や楽しさは変わらないはず。

    はずなんだけど、私の目の前にはそれが伝わる人と伝わらない人とがいる(>_<) 私が解決したいと思っている事案だ。 ホントにどうやったら世界一の選手を育てることができるんでしょう\(◎o◎)/! まずそんな突拍子もない発想を持つに至った選手と出会いたいし、 そんな発想を受け止めることのできる環境であり、情報となりうる発想を目指していきたい。 そのための第一歩となるのか? ジュニアレッスン懇談会

    発想も才能も個性も人間も自然のものだ。
    だから決して思い通りになる代物ではない。
    けど未来は確かにインスピレーションでできている。
    ”心から望んでいればその夢は必ず実現する”
    それはもう歴史的に観測済の事実だ。
    まずは望むこと。
    普通の人は年とともに必ず夢から覚めるときが来るのだけど、
    なぜか私は若い頃と変わらずもっと素晴らしい自分と出会えるつもりでいる。
    どうやらいつの間にか夢を見続けることのできる才能、ユメユメの実の能力者だったようだ。
    私の覚醒に協力していただければきっと多くの人の夢が叶うのだと思う\(◎o◎)/!

    偉大な発見はどう学んでも真似することのできない発想に基づいている。

    連想ではない。
    本物の発想と出会えるか。
    そんなエレガントな問題と向き合ってこれからも未知なる発想を求めていくのだと思う。
    人間には基本的に自分自身を良い方向へ導く力を持っているのだと私は信じている。
    週末は今年の道内ナンバー1を決める北海道選手権です。
    私の発想とまゆきの発想が試されます。
    どうかみなさん、応援していただければと思います。

    それではまた明日〆