旭川のスカッシュレッスンスクール「旭川スカッシュハウス」
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2017/09/06
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そうがのそうが自身によるそうがのための発想のために
みなさん、こんにちは。
あれはまゆきとそうがにお好み焼きを作ってもらった夏の日のことだ。
期待通りの腕前以前に台所でシドロモドロしているそうがのことを、
まゆきと私であらかたディスり終わった頃、私は母さんに言われたことがある。
「あんた、あの子のこと決めつけ過ぎよ。黙ってるけどちゃんと考えがある感じなんだから押し付けちゃダメよ」と半ば怒られ気味にそう言われたことがあった。
「んなこたぁ、わかってるから!」とホント母親にわかってることを指摘されることほど苛立たしいことはないことを思い出させられてちょっと不愉快な気分になった。不愉快だったとはいえ、ホントにわかってるのか?とも思っていた。
でもその後のJJOの試合で散々主体性のないスカッシュを見せられて、
やっぱりそうがに自分でスカッシュの試合をかみ砕けるだけの情報も顎もないことが判明。
では、そもそもの力はあるのにそれを自分で考えて使うことができないのはなぜなのか・・・そうがはいつも指示待ちだ。
素直で従順で可愛い、ある意味指導者の心をくすぐるMっ気がそうがの特徴だ。
※スカッシュも受け側\(◎o◎)/!
懇切丁寧にわかりやすく、客観的に、論理的に楽しくお話しをして、たとえ理解が届いてなくてもそうがに合わせて抽象化して彼が主観的に考えて何となくラケットを振ってボールを飛ばしても勝手にコントロールできるようなコンセプトで関わってきた。
そうがは有無言わずそれを実践して今のところ道内ジュニア最速のペースで上達している。
もうすぐ13歳のまだ12歳。
最初はほんとうに極ゆっくり、
まるで変わろうとしないシーラカンスのように変化のわかりにくい時期が続いたけど、
いつからかそうがの上手になりたいというひたむきな姿勢とともにレベルアップ♪
とりわけ大会中、試合中の集中した時にはまるで空を飛ぶことをひらめいた魚のようにエキセントリックな変化を見せてくれる。
よく知らずそうがを観ている人はトランスしているかのような変化に思われるかもしれない。
でもそれは試合のプレッシャーの中で無我夢中のそうがが見失っていたものを思い出して、普段できていることを冷静に表現できるようになった姿に他ならない。
私もそんな彼の姿を楽しんではいるが驚いてはいない。
まぁ、大会での試合は未知の相手である以上普段通りプレーすることがそもそも難しい。そのためにはある程度の経験と成熟さが必要となる。
そうがはまだ子どもだ。
何も急いで大人になる必要も、成果も求める必要はない。
ただ自分のベストを尽くせばいいのだ。
自分のベストがどこにあるのかはわからない。
それを知るための前向きさがあれば人は進んでいける。
私はスカッシュの世界の案内役だ。
そうがの前に広がる世界のことや進み方をある程度は把握している。
けど、どこに進みたいのかを決めるのは他ならぬそうが自身なのだ。
何を楽しみ、どこで通用する人間でありたいのか。
そこに選択肢があることも重要だけど、
もっと大事なのは自分の声で決めることができているかなんだ。
そこに志が伴うならばそうがはこの世界で一角の人物足りうる可能性があると思っている。
それはそうがだけではない。
子どもはみんな天才だし、スカッシュにはチャンスがあり、アッシュには私がいる。
やればできる!
でもそれは私であり、親御さんであり、仲間の声に過ぎない。
子どもたち自身が自分の意志で決めなければならないんだ。
志とはそういうものだし、運命は自分で決めたことでできていく。そうがはスカッシュのことも自分のこともわからない不安で必要以上に手に汗をかいている。
人はわからないことに不安や恐怖を感じる。
わかっていることには安心し、それほど価値を見出さない。
だからスカッシュの世界で相応の成果を求めるならば、
スカッシュのことを、自分のことをよく知る大人になる必要がある。
知らないことを減らし、冷静に対処対応できる自立成熟した振舞のことだ。
スカッシュのコーチとしてはその経験を促し、
安心して立てるステージをどんどん上げてあげたい。
トーナメントマネジメントプログラム(赤レッスン)の理念だ。でもそれでいいのか?
そうがの試合における委縮はスカッシュと他者に関する情報不足から来ていて、
私の指示通りに従い、言われたことをこなすことで安心しているように見える。
※逆にそれができないと怒られるのではないかと不安になる\(◎o◎)/!
普段からチラチラ私の顔色ばかり気にしているし( ̄▽ ̄)
私は私のマニュアルと洞察と信念に沿って情報を提供することを仕事にしているのだけど、
そうがの場合には果たしてそれが有効なのだろうか・・・
私はそうがの成果に期待して教えずぎてはいないだろうか・・・
もしかしたら私の関わり方がそうがの主体的な行動を阻害しているのかもしれない・・・
と、私はずっと葛藤している。たぶん私の母さんの言っていることは正しい。
そうがをシーラカンスだと思い込ませているのに私は一役買っている。
まだまだ伝えたいことはたくさんたくさんあるけれど、
私が見たいのはそうが自身の発想による想定外の鈴木瀧雅なのだ。
私には操り人形を楽しむ趣味はないのだ。
だからそうがが自分の志に気づくために必要なことを私は考えている。
でもそれには私は邪魔だと思っているという矛盾(>_<) なぜならそうがは私を操り主だと思い込んでいるから\(◎o◎)/! わからないことを自分の力で考える。 閉鎖的で、時間がかかることだけど、実はそれが一番大切なことだ。 わからないことは好奇心の源泉で、そのうえで知りたいことがある。 その知的好奇心こそがその人の財産であり、道しるべになる。 その結果取るに足らない自分かもしれないけど誰のせいでもないと思えることで安心できる。 その落ちどころは虚無的な価値観を避けるためには案外大事だと思っている。 ただ私は子どもたちの才能を無視することはできない。 自分の才能とセンスと発想に気づいてもらうための何かをいつも探している。 だから自学自習を促す、すべては子どもたち自身による発想のためなんです( ̄▽ ̄) 願わくば、そのインスピレーションのために私は必要とされたいと思っている。 次回は私がその発想についてをどう考えているのかの話をしたいと思います。 それではまた明日〆
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