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  • 2018/05/24

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    『エニイギブンサンデー』

    みなさん、こんにちは。

    世間では学生アメフトの悪質タックルの真相が話題になっていますね。
    様々な意見が飛び交っているみたいで上っ面なことしかわかりませんが、
    この方はこんな見解を示している。
    IMG_6731[1]
    芸能ゴシップに群がる人々、
    身近な人の醜態を指さし比較して優越的な立場を実感している人たち、
    安全圏からリスクなく匿名の立場で悦に浸ったコメントで賛否を唱える烏合の衆たち。
    そういう人たちが結構な数いるのが現代社会なのだというのを実感します。
    試合出場を条件に”潰せ”という指示を出した指導者がいて、
    どうしても試合に出たいと必死のあまり過剰な形で実行してしまった選手がいた。
    事実を究明するにあたっての報道って難しいですね。
    報道は報道の矜持に則ってその事実だけを伝えればいいのに、
    そこに良いとか、悪いとかある種の偏った情報を配信し、注目を集めようとするビジネススタイルが世間の多くの人たちの精神を汚染するのに一役買っているという印象だ。

    〈以下引用〉
    日本における正義のあり方って特徴的だなと感じます。
    選手が首脳陣よりも先に謝罪しただけでその潔さが認められる。
    選手が監督側の非を責めずに自らの反省を伝えればそれが根本的な解決策につながらなくても潔いと褒められる。
    この時代、ネットで人物像はすぐにでも特定されるのに会見で自ら明らかにすればその勇気を称えられる。
    ー立派な会見だった、という意見さえ目立つ。
    ー世間が自ら理想とする正義感に浸ろうとしているんじゃないかと思えます。
    ⇒日大の各種釈明に対してよく使われる「これだけ世間を騒がせておいてそれでは足りない」論調が物語っているように思いますー
    byロンさん(スカッシュ元日本代表・株式会社R.project代表取締役)FBより

    悪いことしたら自分から謝るのは当たり前だし普通のことなのに
    学生の立場で会見を通じて謝罪をするなんて・・・
    と過剰に美化するから過剰な悪を生むことなって
    そういう過剰な報道は当事者たちを一層蝕みながら歪ませていく( ̄▽ ̄)
    普通の1つの出来事として報道すればいいのに
    過剰を求めずにはいられないのが報道であり、世間という現代社会の雰囲気なのだと思う。

    この件を通じて日本社会の精神文化的な違和感が浮き彫りになったという意味では、
    やはりどんなことでも無意味なことはないんだなぁ、と思ってしまう( ̄▽ ̄)
    もちろん負傷した被害者には同情する。
    しかし、しょせん私も外野の1人なのだ(>_<) そして、いち指導者として今回の件で学ぶべき教訓は 結局指示を受けた選手の側と立場で自分で考えることをしなかったことに尽きる。
    指導者にあたる監督、コーチ、先生、親、会社、上司、リーダー等の立場にある人たちにはみな、指導者であることを信頼してくれている子たちにふさわしい主体性を導く使命を帯びていると思う。いつまでも子ども扱いしたままでいると、その子どもはいつまでも「より大きな外部環境」のせいにしたがる受け身の心理が育まれていく。
    独自の文化であり、ソフトの発信、主張が苦手な日本人の本質みたいなのにも通じてる!?
    まぁ、良く言えば”奥ゆかしさ”ともなるけど、
    誰かのせいにして生きるのも、静かにしているのも私は嫌だ( ̄▽ ̄)

    学生の頃の『エニイギブンサンデー』というアメフトの映画を観たのを思い出した。
    http://img.discas.net/img/jacket/081/460/r081460483L.jpg
    敬愛するオリバー・ストーン監督、日本では2000年に上映された作品。
    内容はあまり覚えていません( ̄▽ ̄)
    ただ、アメフトってとてつもなく激しくて、厳しい世界なんだなって思った(>_<) タックル受けて骨折したり、目玉が飛び出たりするシーンに戦慄しました\(◎o◎)/! アメフトであり、プロであり、ビジネスであり、勝負であり、 競争の概念はどの世界、いつの時代でも厳しい。 それは事実であり、この世界のあり様として歴史的に作り上げられてしまっている。 今回の学生アメフトの件で本質的に感じた違和感は、 ビジネスであり、勝利のためであり、立場や名声、お金を手に入れるためであり、生き延びるためだったら何をしてもいいのかということだった。 本質的に私が違和感を感じているのは人々の執念だ。 勝たなければならない、 結果を出さなければならない、 悪は断罪されなければならない、 生き延びるための正義や愛の義があれば何でも正当化されている 社会のあり様であり、無自覚な執念が私には違和感なのです。 勝ちたいという欲が、やがて勝たなければならない、勝たないと・・・
    という執念であり、焦りや負担へと変わっていく。
    指導者としても、個人的にも、そのルートはつまらないし、苦しいことや試練の数やハードルが無駄に上がってしまうので、可能な限り避けながら楽しく成果を提供していく方針でいる✨

    ※甘いかな( ̄▽ ̄)
    まぁ、私は世間の常識として認知されている
    弱肉強食も適者生存も進化論も本質的に違和感を感じながら視ている頭のおかしい異端児なので、あーまた何か言ってるわ、くらいにこれからもお付き合いいただければと思います。

    ちなみに”Any given Sunday”はアメリカンフットボールの昔からある格言です。
    通常アメフトは日曜日に行われる。
    「どんなチームもどんな相手でも戦うこと(やっつけること)ができる」
    即ち「どんな弱いチームでも強いチームをやっつけるチャンスが(神から与えられた”given”)あるんだ!」
    という格言が映画のタイトルに使われたようです。
    直訳とは全然違う意味だから外国語は難しいですね(>_<) 日曜日に限らず、毎日がチャンスであり、幸運なのだ✨ これからも笑いの絶えない痛快なスカッシュをいろんな視点から楽しんでもらえればと思う♪ というわけで明日は4周年イベント告知をしたいと思います。 それではまた明日〆