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  • 2017/12/21

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    日曜日の賢さとか、自信とかの話( ̄▽ ̄)

    みなさん、こんにちは。

    最近アッシュの問い合わせフォームに英語で書きこんでくる人がいる。
    いわゆるスパムメールというやつなのですが、
    そのままグーグルさんに翻訳をかけてみると
    あなたのブログは素晴らしい、プロフェッショナルだ、価値がある、シェアする、とかの内容でなんだかとても良い気分にしてくるから困っている( ̄▽ ̄)
    ”良い気分”というのは例外なく嬉しいサインなのではあるのだけど、
    この程度の”よいしょ”で嬉しくなってしまうとは、
    何という承認不足なのだ・・・
    とは思わない\(◎o◎)/!
    些細なことで喜べることも私の一部なので正直に嬉しいし、自分の良い気分を否定することはいろんな捩じれを生むのでできるだけ採用しないことにしている( ̄▽ ̄)

    とはいえ、ただのスパムメールだけどな\(◎o◎)/!

    さて今日は前の日曜日の対話でも公開しようかな( ̄▽ ̄)
    最も賢い考え方の答え合わせをしました✨
    IMG_5549[1]
    私の考える最も賢い考え方とは、
    何かの選択の際に最も賢い考え方とは何だろうと想像することです。
    人間は毎日いろんな選択を繰り返しながら活動している。
    そんなとき、それが本当に賢いことなのだろうか?と想ってみる・・・
    するとそこには何のための今なのか・・・
    自分にふさわしい選択とは本当にそれでいいのか・・・
    賢さとは結局のところ自分を導くサインに基づいての方向であり、
    そこには自分が何を目的にしているのかから始まる、
    建設的な思考が求められていることがわかる。 
    ※複合的には直観であり、直感ともいう( ̄▽ ̄)
    しかし、その賢さを外部に求めると無意識的に外部に足りない何かに基づいた発想をしていたりする。だから何に対して賢くあるかの違いは個別にも違う。けど人生は個人的なものであるべきなので賢さの対象はまず自分の最善ありきだと私は思っています。
    みんなそれでいいと思っている( ̄▽ ̄)
    そんな話を通じて”必要”と”欲求”の違いの解説をしてみたり♪
    ※実際は子どもたちとの対話であり、もっとわかりやすく楽しく話を進めています(>_<) それと賢さへの子どもたちへの返事として、 信用とか、信じることにフォーカスする子がいたので”自信”についての話をしてみた。 IMG_5550[1]
    ”自信とは何か”の問いかけ1つでもわかることはいろいろとある。
    自信とは、自分を信じることだ!とか、
    自信とは、自信を持つことです!とか、
    いずれも言語的には正解なのです。
    けど発想が言語の枠に縛られている。
    逆に言えば言語の枠を広げることによって発想を変えることができる。
    なので言語の枠が狭いと価値観が狭く凝り固まっていきます。
    人間も地球も何もかも決して止まることなく変化し続けているのに
    自分だけは決して変わろうとしないという姿勢は私は不自然なことだと考えている。
    単純に言語が少ないと発想の選択肢が狭まったり、関係上誤解、誤認も生んでしまう。
    変わることのできない考え方を採用している人は変化に弱いことを採用しているという点も見逃せないところだ。
    子どもたちにはそうではない未来を提供できればと対話を通じた方法で模索していく。
    それがどんな効果と成果に結びつくかは私次第だと思っている。
    自信を持って彼らの前にこれからも立っていられるよう力を尽くしていきたい。

    ちなみ私の考える自信とは大丈夫だと思える人を信じる、あるいは立てることです。
    ”そういう人がいる”って思えるだけで安心できるし、平気でいられたりしますよね。
    「あの人がいる。だから大丈夫」みたいな( ̄▽ ̄) 
    ※あの人の主観や客観性、合理性に依存するかどうかは当人の賢さやセンス、関係次第なわけですが\(◎o◎)/!
    大丈夫の語源は古代中国とインドに由来しています。
    私はインド側の”大丈夫とは菩薩その人のこと”を意味していたという伝説を採用しています。
    そもそも菩薩とは・・・

    それではまた明日〆