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  • 2017/05/12

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    もうすぐ母の日ですね✨

    みなさん、こんにちは。

    賞味期限1カ月切れの野菜ジュースにチャレンジしてみました。
    ドリンクの賞味期限は長いですよね。
    1カ月くらいは誤差なので大丈夫なのでは?と試しに( ̄▽ ̄)
    したらすぐに下り始めてダメなものはダメなことを思い知りました(>_<) なんか内臓の奥から不気味な鉄のにおい?胃で出血してる? なんとなく具合のすぐれない感じが常にあります(>_<) 昨夜あまりにお腹が空いて食べ物をあさりに冷蔵庫付近の箱を開けてみると、 過去に母が送ってくれた封の切られていないレトルト食品の類がたくさんある。 どれも1年とか2年とか賞味期限が切れている(>_<) 送ってもらった時には”ありがとうーーー”と思うのですが、 すべては食べきれない、というか・・・ 狭いキッチンとコンロだと調理のモチベーションが上がらず 普段の生活習慣にない材料が必要とされる食品は放置されてしまうんです(T_T) 母さん、ホントにごめんなさい・・・ 結局パンを焼いて食べることにして、 そのための飲み物を漁っていたらミックスキャロットを発見✨ 賞味期限1カ月切れてるけどきっと誤差だから大丈夫だと思ったんです。 与えられたものへの価値を見出すのが苦手な罰当たりを憎まずにはいられません(>_<) 基本自分で選んだものの価値を尊ぶ傾向が強くて、 誰かに決められたことは二の次にして今日まで来てしまった性質によるものとしか・・・ 悲しいサガです(T_T) そのサガの疑う余地もないくらい自分にふさわしい暮らしと運命を選んでいる。 選んでいるなどと自尊に溺れた表現をしているものの、 その道やその才、機会、許されている環境、 そんな自分の存在でさえ根本的には自分で選べた事柄など実は何一つとしてないのだ。 母にとって子は授かりものであり、 その母でさえ子としてこの世に生を与えられている。 肉体だけでなく、定められた性質と環境によって、 我々は”今”を噛みしめられていることの意味を多くの人は忘れてしまっている。 何もかも自分で決めているなどというのは驕りだ。 人間はそのことを無視して、あるいは知らずに、 傲慢にも何らかの理由をつけて愛や利権の搾取の正当化駆け引きに毎日忙しい。 どうすればその道から抜け出せるのかを模索しているのが聖書の神”ヤハウェ”であり、 その末裔の一人であるアブラハムの話から今はモーセの話を読んでいる。 小説版聖書は2000年以上前の風景を私に思い出させてくれる。 ヘブライ人のために書かれた伝説は今やその宗派の血と肉となっている。 ヘブライ人とは何者なのか、 その伝説が叙事詩なのか、歴史書なのか、 すべての物語は何らかのインスピレーションを由来にしていて、 聖書とは今日までに残る人々の深層心理の原型に触れる何らかの物語に由来している。 キリスト教を語るにはミトラ教が、 ミトラを語るにはゾロアスター教の経典と経緯が必要になるのでここで終わり。 何事にも母がいて、今日日の歴史とアイデンティティがある。 そのことに感謝の気持ちを込めて母への手紙と贈り物をしたためる。 IMG_4014[1]
    年に何度も会えないけど、
    そのたび私の母でいてくれることにありがとう。
    私は今日も元気です。