ブログ

  • 2016/09/08

    ブログ

    カープの思い出と最近の3/4

    みなさん、こんにちは。

    なんとなんと知らない内にあの広島カープにリーグ優勝までのマジック2が点灯しているというニュースが届いてきました\(◎o◎)/!
    どうやって勝ち続けてきたのか、
    もはやプロ野球をまったく観ない私にその詳細はまったくの謎ですが、
    91年のリーグ優勝以来25年ぶりのムードに広島が湧いているようです✨
    広島生まれの私は東京に住みながらカープびいきの野球少年でした( ̄▽ ̄)
    高橋慶彦がいて、山本浩二がいて、達川のいた時代のことを今でも覚えている。
    母さんの広島の実家は酒屋を営んでいた。
    夏休みと言えば広島への帰郷の楽しみが私のすべてだった頃の話だ。
    ばあちゃんが店の冷蔵庫からジュースをくれるというだけで
    何だか特別な味がしたことがとても懐かしくて、いつも嬉しかったことを思い出す。
    広島市民球場と原爆ドームのすぐそばで営んでいた酒屋は
    カープの試合があるなしに大きく関わっていたのだなと今ならわかる。
    カープの試合が行われる日の夏の夜には球場からの一際大きな歓声とナイター照明の光が夜の闇を明るくしていたのを古いお家の窓から見上げていた。
    そんな20数年前のことを束の間に思い出しました( ̄▽ ̄)
    今思えば広島のあの家はとても個性的でした。
    酒屋の裏にある家の階段は夜になると真っ暗で裸の白熱電球ただ1つがあたりを照らしていた。その階段の一段一段を踏むたびにギシギシと木のきしむ割と大き目の音が怖いくらいに不気味だった。怖くて不気味、それ以外に表現のしようがないはずなのに幼い私でもその音が誰のものなのかがわかってきたりすることで、次第にそれが広島の家の醍醐味のように思えていたりもした。裏の住まいの地上は駐車場なので、キッチンとリビングと部屋の生活スペースはすべて2階にあった。細長い廊下の幹から枝分かれするように大小の部屋がいくつもあった。歴史ある完全木造住宅だったことからとても古めかしいにおいがしたのもその家の思い出だ。
    そんな実家で母さんが育ってきたこととか、じいちゃんの酒屋が原爆が落とされてから復興してきた街の歴史と共にあった建物だったとかの話を聴かされてはいたけど、当時の私には”そうなんだ、ふーん”という感じだった\(◎o◎)/!
    でも市民球場も酒場も母さんの実家ももうすでになくなってしまっている。
    今となっては思い出すことしかできない、過ぎ去ってしまったことなのだと考えると
    当時の当たり前は何を以っても当たり前のことではなかったんだ・・・
    有り難いことだったのだということを今日のカープが伝えてくれたのだと勝手に思う。
    つまるところ、誰にとっても、いくつになっても今が大事だということです。
    生きている限り人は何かを思い出さずには歩くことなどできはしないのだから・・・
    カープはまだ優勝を果たしわけではないけど、
    「広島カープ優勝~」という響きには私のルーツに深く食い込んだノスタルジーがある。
    もうプロ野球観ないけど( ̄▽ ̄)
    もしカープが優勝したらその苦渋に満ちた25年についてのお話でもしようと思います(>_<) さて、秋になって再び人が戻って来てくれる足音がします。 908%e3%80%80%ef%bc%91
    アッシュの巨人、サイト-さんが久々復帰です☆彡
    この日はヒロトに3/4を依頼したのですが6人で回転♪
    女性、子ども、サイトーさんとバラエティに富んだメンバーでのラリーでした✨
    いろんな人とラリーできるって楽しいですよね( ̄▽ ̄)
    ヒロトが上手く楽しく3/4してくれている様子。
    ヒロトの3/4